toggle
2019-04-09

好きなことは仕事にしない方がいい説について


 鱒と八朔…のナニカ。これが一番美味しかったです。

 

20年前にお仕事を教えていただいた元上司と、年に一度のお楽しみランチ。

今年は那古野のペルージュへ再訪。

ほとんど真逆といっていいほどの価値観で生きてきたわたし達にとって、単に近況報告というだけでなく、お互いから刺激をもらえる日。

今回も色々と話しをしたのだけど、印象に残っていることと言えば、“好きなことを仕事にすることについて”。(最近、忘れる機能が向上しているので、たくさん話す割に覚えていない。)

実はわたし、数年前までは、一番好きなことを仕事にするのは、それを嫌いになってしまう可能性があるので避けたいと思っていました。そして元上司も、概ねそんな意見でした。

なのだけど、ここ数年は、好きなことを嫌いにならずにいるには、自分が好きなことを好きなままでいられるような環境作りだなぁと感じるようになってきています。それはズバリ断る勇気だったり…。

断ったことで仕事として継続できなくなったとしても、いいじゃないか、好きなんだから趣味で続けたら。そのために別の仕事をする必要があるかもしれないけど、いいじゃないか、好きなことがあるだけでも。

というようなことを自分のこれまでの選択を振り返りながら考えていくと、“好きなことを仕事にしない”というのは、単に、それでうまくいかないのが怖いっていうことだったりしたのです。わたしの場合は。

好きを仕事にしたもののうまくいかなくて、結果的に、自分が“フツーー”って感じるような仕事に戻るかもしれないというのが怖い。だから、初めから“フツーー”を選んでおく。その選択の背後でわたしが恐れていたのは、“フツーー”そのももであることに気づきました。言い換えると、特別でありたいという欲求であり、そうでなくてはならないという価値観。

普通を恐れて普通でいるって、なんだそれ笑、というパラドクスと根拠のない恐れに気づき、“普通”や“平凡さ”というものを、いいじゃん平凡!平凡に暮らせるなんてサイコーじゃん!と受けいれることによって、好きなことに飛び込む勇気が湧いてきたかもしれません。大体、誰かにとっての普通は、別の誰かにとっては、とても特別なことだったりするのだから、特別であることをわざわざ自分に期待するというのは、劣等感と表裏一体の優越感が見え隠れしているわけで。

その“特別でありたい”葛藤を超えて、普通でありながら同時に特別なのだと腑に落ちると、お金を受け取る/受け取らない(職業としての仕事にするか/しないか)かは、一番に重要なポイントではなくなり、好きや嫌いやその間にあるグラデーションとかを感じたその先にある、“自分はどうしたいか?”や、“自分は何を経験したいか?”が重要事項となりました。

自分がどうしたいか?を叶えてあげるという視点にシフトすると、好きだとか嫌いだとかは、物事を判断する上での最重要項目ではなくなるのかな?と。更に言えば、その“自分がどうしたいか?”が叶う叶わないも超えて、自分が納得していられるか。

だからね。感じることがとても大事だと思うんです。その感覚は、ひとりひとり特別で、他の誰かとまったく同じはあり得ないから。

とまぁ、そんな話しをしたことを、やっぱりまた最新バージョンの忘却機能で忘れてしまうと思いますが、ここへ記しておきます。

フレンチの後は猛烈にたこ焼き気分。

関連記事