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2019-04-25

わたしがわたしとして生きること。


7年くらい書き綴ってきた旧ブログを完全に閉じたので、これまでこちらでは書いてこなかったような、プライベートなことを一度書いてみようと思う。

 

わが家の子供達は、上がホームスクール、下がフリースクールという状況。もともと旧ブログはホームスクールの様子や想いを書き綴るために始めたもので、その後は自然療法へと移行していったのだけど、手っ取り早く言えば、代替教育と代替療法というオルタナティブな在り方を軸に書き綴っていた。

 

旧ブログのお役目が終わったと感じる今、なぜ代替教育を選択するに至ったかはここでは割愛するとして、学校へ通わないという選択も、当時より少しずつは馴染んできたようにも思う。でも、あくまでも少しずつで、わたしたち家族が住む田舎町は、まだまだそれは“ありえない選択”のようで、学校とのやり取りはなかなか難儀するし、そういうプロセスを経て、わたしたち家族も成長させてもらっている。今日はそんなプロセスを通して得たことのお話し。

 

小学校には両手で数えられるほどの日数しか通っていない長女、中学校に上がる際に、校長先生と面談する機会が何度か設けられた。長女の希望は、これまでと同様、習い事などをしながら、ホームスクールで過ごすことで、これにわたしたち夫婦も合意・賛成していた。(今はサポート校のオンライン授業で勉強を進めている)それに対し、校長先生の希望は、今しか経験できない中学校生活というものを、どうしても長女に体験して欲しいというもの。そのために、いわゆる“登校刺激”といわれるものを娘に対してしたいという申し出があった。(※登校刺激=直接本人に対して登校を促すこと)本来学校というのは、先生の希望を叶えるところではないけれど、こちらを思ってのことなので一旦は受け取り咀嚼…。

 

ただ、学校に通うという経験を優として、通わない経験を劣としていることが、先生の提案からは伺える。隠したつもりで近づいても、彼女の今を劣として扱っていることは伝わるもの。わたしは、どんな経験にもそれぞれ価値にがあって、本来優劣はないと思っている。知ろうとしないから見つけられないだけで、本当は色んな生き方がある。その前提が大きく違うので、娘はきっと違和感を感じるだろうし、うまく行かないと思うと伝えました。北風と太陽の北風のようなアプローチをとったら、余計に身を固くしちゃうだけ。ただ、それを踏まえた上でも、先生には、一人の人間として、その想いを行動として経験する自由や、その結果を体験する自由があることを伝えました。そして、それにどう反応するかは、それもまたこちらの自由。どこかのタイミングでぶつかるかもしれないけど、経験する前から判断はできないし、その経験にもまた優劣はないけど、学ぶことはきっとあるはず。

 

そこからは、電話をかけてきたり、手紙を書いたり、自宅へやってきたり…校長先生、それはもう熱心にアプローチされて来られました。担任ではなく校長先生が直々に動くことは稀なこと。その間、親であるわたしは、これ以上はNOという一線を超えてきた時には、自分たちを守れるよう心つもりをしておくこと。でも一番は、ただただ、腹を割って、自分が感じていること、考えていることを、できるだけ率直に丁寧に伝えること。ただそれだけでした。それはまさに“わたしがわたしでいること”、それだけだけど、何より難しいことを試される経験でした。

 

様々なアプローチを校長先生は試したわけだけど、娘はNOを言い続けました。そして一年後の面談で、「僕の方法ではうまくいかなかった」と認められて、それ以降の一年間は、向こうからのアプローチはなく、“必要を感じた時は利用してください。いつでも待っています。”という、当初わたしたちが望んだスタンスに切り替えてくださいました。そして昨年度末で、その校長先生が定年を迎えられたという話しを担任の先生から伺って、そろそろ書いてもいいかなという気持ちになりました。

 

自分が良かれと思いとった方法論がうまく行かなかったことを最後に認めるって、なかなか難しいと思うんです。わたしもまた、意見の異なる相手を尊重できず失敗した過去を活かせる機会だったし、きっと娘にとっても、自分がどうしたいかを考えるいい機会になったと思います。

 

この経験から学んだことは多いけど、一番は、わたしがわたしとして生きること。あなたがあなたとして生きること。そして、あなたはわたしだし、わたしはあなた。本当にそれだけなんだなぁということ。

 

たとえ相手に対して取り乱すことがあったって、それもいいと思うんです。それも含めて今の自分で、そこに対して負い目を感じる必要は全くなく、堂々としていたらいい。それが、わたしがわたしとして生きることだし、言いかえれば、わたしがわたしと共にいる、本当にただそれだけのシンプルな事実が命というもので。そうするともう、人生のハードルは一気に下がる。今日もただ生きる。死ぬまで生きる。ichi-eのロゴは“存在”という意味なんですよ。今日も地球に生きよう。感じよう。そして、遊ぼう。色々考えを巡らせては、いつも還るところはそこ。

 

 

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