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2019-11-15

座っていたらいいのだ。


昨日会った友人らに、最近のまゆちゃんはベールに包まれていて謎だと言われたので、ちょっと近況報告から入ろう。元気です。ジュエリーの方の話しなのですが、海外で作られたエシカルジュエリーも扱おうと思っています。その件で色々と整理したり再考したりする必要があるのと、国内での資源の有効活用がやはりわたしが一番目指したいところで、遅々とした歩みですが、そちらの方もお話しを進めているところです。うまく運ぶといいなぁと思っていますが、他人様も関わる話し。やってみないと分からないことも多いので、試行錯誤歩んでおりますゆえ、近しい人たちの応援は身に沁みます。ありがとう。ありがとう。そんな最近なのですが、ここのところ感じたことを文章にしておこうと思い、この気まぐれブログを開いた次第です。

さて。わたしから見て、とても大きなことを成していて、たくさんの人にポジティブな影響を与え、尊敬も感謝もされている素敵な友人がいます。もう何年も彼女を見ているのだけど、なぜかいつも彼女は自分自身に対してちょっぴり懐疑的で不足感を感じている。(と、彼女とのやりとりから、わたしがわたしの中に感じている)彼女とわたしの間で共鳴するがゆえに感じる、この不自然なエネルギーは何だろう?と、ぼやっと感じてみた時に分かったこと。「あ!椅子に座っていない!」

この表現だけでは何がなんだか分からないので説明をすると、競争ベースの社会で生きてきたわたしたちの多くは、人生ってなんとなく椅子取りゲームのような印象で捉えがちだと思うんです。誰かが豊かさを享受すると、自分の受け取る分が少なくなってしまうように感じたり、誰かが何かの分野で活躍すると、自分はその分野では活躍できないとか…etc, etc.

わたしのことで言うと、素敵な写真を撮っている人なんて星の数ほどいるし、ジュエリーにしたって、敢えてわたしがやらなくったっていいんじゃないかっていうくらい沢山いる。比べ出したら、やらない理由なんてたくさん挙げられるし、できていない自分に落ち込んだりすることもできる。

そこで“わたしなんて…”と、後ろ向きな気持ちになってしまう人と、“わたしだからこそ…”と前向きに気持ちを保てる人の違いが何かというと、それはとてもシンプルで、宇宙には、それぞれの人に一つずつ椅子があるということが、腑に落ちているか否かだけかな思うんです。

前者は、身に染み付いた椅子取りゲームの習慣から、既に心地良さそうな椅子に座っている人に嫉妬してみたり、椅子が奪われるんじゃないかと疑心暗鬼になったり、本当に座ってもいいのか?などと…周りの様子を伺いながら、あれやこれやの不安にエネルギーを注いでしまう。

後者は、1人1つずつ椅子があることを知っているから、自分の椅子が無くなることや他の人の分が足りなくなることを心配する必要なく、安心して自分のやりたいことに集中できる。

もう少し正確に言うと、本当は最初からずっとそれぞれの椅子に座っているのに、それを認識している人とそうでない人がいるだけのこと。なにも“宇宙”という壮大な言葉を使わなくとも、より現実的な言葉に落とせば、自己受容と多様性の話しです。わたしはわたし。あなたはあなた。それでいいよね。それだからこそいいよねっていう。

だから、他人に嫉妬してしまったり、不信感に陥ってしまい時なほど、椅子に座っている自分を再認識するのが、一番最初にすること。これはイメージするだけで全然違う。その次に、その椅子は心地よいか?そうじゃないとしたら、どう変えたらいいか?どんな景色を見たいのか?の部分で、他の人の椅子や座り方から学ぶことはできるけど、まずはさておき認識。

事実、あなたとまったく同じ人は、地球上にいない。同じことをしたって、全然違うストーリーになるし、まったく同じにはならない。まずはその事実を受け入れたら、その人らしい創造が、自然と湧き出すのかなと思います。らしくあろうとか意識せずとも。

冒頭の彼女だけでなく、自己受容の度合いだったり、多様性をどこまで容認しているかっていうのは、その人にしか分からないごく個人的なこと。なので、そこをどうこう言いたい訳ではなく、わたし自身の意識が椅子から少しお留守していたようなので、取り組み中の今なのです。だからちょっとベールに包まれてる風だったかもしれないけど、風です!風!集中したいのであまり他の人の椅子だったり様だったりを見ないようにしている時期ではありますが、隠してる訳ではないので、椅子の上でゴソゴソする様をなるべく小出しにしていきますね。では!

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