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2019-12-28

それは歓びなのか、それとも…。


久しぶりに受けたあるセッションで言われたことを、なかなか腑に落とせないまま帰宅しフェイスブックをぼんやり見ていていたら、言われたことがストーンと腑に落ちるような素敵な文章に出逢った。耳で聞いて理解ができないことも、人によっては、文章になって目の前に現れると理解できたりするもの。タイミングよくその文章に出逢えたのも、面白い計らいだなぁと思ったり…。

要点のみざっくり紹介すると、Happy(幸せ)とJoy(歓び)には、明確な違いがあり、それをNYでのルームメイトとの間で学んだというもの。

Happy(幸せ)は、外部環境が満たされることで得られる幸せ

Joy(歓び)は、自分の内面から湧き出る歓びで満たされている幸せ

元の文章の表現は少し違うかもしれないけど、わたしの理解ではこんな感じでした。

今年は、自分にとっての幸せって何だろう?って考えることの多い一年でした。友人曰く、そういうのはちょっと病んでる時にしか考えないことなのだと。えぇ、確かにそうだと思います。自分を丸ごと受け入れている人には、自分大好き!と叫ぶ必要が無いように、本当に人生に満足している人には、幸せについて考えることや、語ることの必要性が生じない。そう。わたしたちは、たまに少し病み、そして幸せについて改めて考え、感じ直す。それもまたこの世での楽しみとばかりに。

個人事業主になってからのことだけ考えても、自然療法も、写真も、ジュエリーも、はじめは自分の歓びとしてやっていた。とても有り難いことではあるのだけど、他人様からお仕事として受けるようになると、喜んでもらいたいあまりに、やっていることは同じなのに、自分の歓びからずれるようなやり方をしてしまうことがわたしにはある。好きなことを仕事にさせていただけるのは、本来、歓びであると同時に、幸せをもたらしてくれること。けれど、歓びで満たされないやり方でそれを続けて、自分の内側が枯渇するなら、それは本末転倒なのだ。充分好きなことをやっているように思えて、時々何かが違うと感じるなら、それは対象に飽きたり嫌になったのではなく、もしかしたら、やり方が違うだけなのかもしれない。いかに自分を歓ばせ続けられるか。これってかなり大切なことのように思う。

ここへ来て自分が、Happyにフォーカスし過ぎるあまり、Joyから遠ざかる傾向が多分にあることに気づき、やれやれと思うと同時に、気がつけたことに嬉しくも思う。自分を歓びで満たすことで、きっと外からの幸せは後から自ずとついてくる。それなら、どんな時に自分が歓びで満たされるかを、まずは感じ直す方が早いんじゃないか?

今日、合唱仲間とたくさん歌い、たくさん笑い、わたしの内側は歓びで満たされている。これが、その他大勢から評価されること(外から来る幸せ)を一番の目的にしてしまったら、きっとわたしは萎えてしまう。歓びで満たしつつ、評価も狙うのは面白いかもしれない。たまに困難に感じることがあっても、達成することも歓びの一部になるかもしれない。そうやって、ひとつひとつ、自分の内側を丁寧に感じながら、そして、仲間の歓びと調和させながら…相乗効果で、自分が想像する以上の歓びと幸せを感じられたなら最高。

Happyは既にたくさんあるので、2020年はJoyに更にフォーカスしていきますよ。何をやるか以上に、どうやるか。面白いか否かは、わたしにとってすごく重要な要素なので、面白いこと、からんでくださいね。今年もありがとうございました。皆さまそれぞれが、ご自身の歓びと繋がり、幸せな日々を過ごせることをお祈りしています!

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