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2020-06-18

好きとか嫌いは案外脆い


Stay Home期間中にフェイスブックでは色んなリレーが流行っていたのだけど、その中のひとつに「聴覚に影響を与えたアルバム10選」という、バトンを受けとった人が10枚のアルバムを選んで紹介するというリレーがあった。

お着物コーデバトンはすんなりと受け取れたのに、音楽に関しては選ぼうとすればするほど難しくて、途中までリストアップしてみたものの最終的にバトンを放棄してしまった。聴覚というキーワードも、わたしには限定的過ぎたのかもしれない。だって、音楽から拡がるものは、もっともっと大きいでしょ?人生に影響を与えたアルバム10選というタイトルだったら選べたかも知れない(真面目か)が、それはそれで小っ恥ずかしくもあり、やっぱり選べない。(考え過ぎか)

そんな中で、このアルバムとの出逢いは面白かったなぁというのに、BjörkのDebut がある。93年リリースなので、わたしが16才の頃になるのだけど、このアルバムとの出逢いは衝撃的な思い出。それ以前にSugarcubesで歌っていた頃のBjörk は実は嫌いだったんです。今この記事を書くためにSugarcubesの動画を見てみたのだけど、ソロになってからのBjörkと歌自体はそんなに変わらないのにね。それがソロになってから最初にリリースされたHuman Behaviorの、まだ歌も入らない前奏部分で撃ち抜かれて、一気にBjörkが好きになりました。ソロでやるのが彼女の本質に合っていたのかな。それからの彼女のアルバムは全部持っていると思う。前奏で撃ち抜かれるほどの曲との出会いは、本当に幸せな体験。

なんかね、高校生だったその当時に思ったのですよ。好きとか嫌いは、こんなに簡単にひっくり返るものなんだと。その簡単にひっくり返るレベルの“好き”は、対象になるものの本質に対して感じていることではなくて、どんな風にプロデュースされるか・どんな風に届けられうかっていう“パッケージ”の部分、つまり表面的なことに感じていることが案外多い。同じことをU2のAchtung Babyでも感じていて、これもわたしの10選に間違いなく入る。余談だけれど、認めるのは憂鬱だが…というこちらのブログのタイトルが本当にその通りだと思う。うん。その認めたくはない感じ、わかり過ぎる。けれど、このアルバムの影響は凄かったよね。

好きと嫌いに話しを戻すと、他人がわたしのことを好きだとか嫌いだとか言ってきたとしても、わたしの何を好きかによっては、それは簡単にひっくり返ることもあることを知っていると、「そうなんだね〜」くらいで済ませられるんですよね。嬉しかったり悲しかったりはしても、振り回されない。自分のことを好きでいなくちゃなどとも思わない。好きや嫌いは、とても大事な感覚であることには変わらないのだけど、意識はもっと深いところに繋げておいた方がいい。

じゃあ、わたしがどんな感覚を信頼しているかといえば、“なんかよくわからないけど”です。その“なんかよくわからないけど”っていう、言語化できないこと自体が、自分にとっての真実であることの証くらいに思っている。愛を語れないことと同じで、言葉にしようとすればするほど遠ざかる。(対象から離れないと語れない)

2番目に大切なのは、“心地よさ”だったり“安心感”の体レベルでも感じられること。その感覚の真ん中に立って選択を続けていても、時には居心地の悪さ、自分に対する面倒くささも感じるわけですが、焦らず少しずつ受け容れていくだけ。うん。別の記事にも“愛一択”という表現で書いたのですが、そうやって受け容れていくで、わたしたちは世界を拡げているのですよ。多分。わたし(全体性)と自分(個)を行ったり来たりしながら今もこうして、言葉では表現しきれないという矛盾を受け容れながら、“なんかよくわからないけど”文章を書く。それでいいじゃないか。

ヴェシカパイシス。分離する時、コトが始まる。
ヴェシカパイシスデザインのジュエリーもつくりたいのだよね。

最後にもうひとつアルバムを紹介しちゃうと、日本からは断然キリンジの3。夫が聴かせてくれたのだけど、錬金術かと思った恐るべしアルバム。最初の3、4曲聞いて、「すげーな。こんなに出しちゃってそろそろネタが尽きちゃうんじゃなかろうか?」って余計な心配をし始めた頃に名曲「エイリアンズ」が来て感服。最後の1曲までひとつひとつが素晴らしいのだけど、アルバム全体の流れやつくり、バランス…すべてが心地いい。このアルバムは超えられないだろうと思うと、それ以降のキリンジを聴くのが怖くなった一枚でした。

もうすぐ夏至ですね。心地よさにひたひたでお過ごしくださいませ。

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